転職と副業を重ねて気づいた、トラベルライターの筆者のキャリアの戦略と自分の原点

キャリアとは「仕事」だけではなく、「生き方」そのもの——。大学時代の就活から始まり、商社・メーカー・旅行業界、そして現在のベンチャー企業&複業ライターまで。4社を渡り歩いた30代前半の筆者が、転職と複業を通じて見つけた“自分の軸”と、これからの生き方について備忘録を綴ります。

大学時代や就活を振り返って

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学生時代に何度も足を運んだ長崎外海(そとめ)

キャリアの出発点は、京都で過ごした大学生活にありました。もともと歴史に強い関心があり、考古学を専攻。博物館の実習や発掘調査のアルバイトにも取り組み、キリシタン考古学の研究に没頭しました。初めての一人暮らし、憧れの京都という環境も相まって、知的好奇心を存分に満たせた4年間でした。

卒業後は大学院進学も検討しましたが、「社会とつながっている実感を持てる仕事がしたい」という思いから、就職の道へ。研究の面白さはありつつも、その成果が社会にどう役立っているのかを実感しづらく、このまま学問を突き詰めることに迷いが生じたのです。どうせ働くなら、もっと世の中を良くしているという確かな手応えが欲しい──そんな想いが、最初のキャリア選択の原動力となりました。

社会人としての土台、そして募る葛藤

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夜な夜な逃避行的に大阪をサイクリングした(笑)

新卒で入社した専門商社、そして転職した大手メーカーでは、社会人として、そしてセールスとしての基礎を学びました。どの企業も長い歴史を持っており、独自の文化に最初は戸惑うこともありましたが、クライアントと関係を築きながら提案を形にできたことで、少しずつ手応えを感じていきました。中でも自分の提案が採用され、それが次世代開発車両として社会に送り出される。その実感は、大きな達成感をもたらしてくれました。

一方で、心のどこかには常に「この仕事が自分のすべてではない」という違和感がありました。目の前の業務には全力で向き合いながらも、心の奥に残る満たされなさ。情熱を傾け切れないことへのモヤモヤと、「もっと自分らしく熱中できる何かがあるのでは」という問いが、ずっと胸にくすぶっていました。仕事は人生の多くを占めるものだからこそ、納得できる生き方をしたい──そんな思いが、次第に大きく膨らんでいきました。

「旅」と「書くこと」がつないだ新たな道

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一生忘れられない五島列島への自転車旅

葛藤を抱えながらも、自分の心が本当に動く瞬間を大切にしてきました。学生時代から続けていた自転車旅は、社会人になってからも変わらず続けていた趣味のひとつです。長期休暇を利用して全国各地をめぐり、土地の風景や人との出会いを通じて、視野が広がり、自分自身が少しずつ変わっていく感覚がありました。

その体験を重ねるうちに、「旅には、人の背中をそっと押す力がある」と確信するようになりました。そしていつしか、旅を通じて“誰かの一歩”を後押しするような仕事がしたいと思うようになったのです。

最初は、感じたことや学んだことを旅ブログに綴るところから始まりました。けれど「もっと多くの人に旅の魅力を届けたい」という思いが芽生えます。旅行メディアのライター募集に応募し、採用されたことをきっかけに、副業として本格的な執筆活動がスタートしました。

企画から執筆、写真撮影、編集までを一人で手がけるなかで、「伝えること」の面白さにのめり込んでいきました。平日は早朝と退勤後にパソコンに向かい、週末は取材旅行へ。寝る間も惜しまず、夢中で書き続ける日々が始まったのです。

「旅」と向き合い直したコロナ禍。そして、キャリアの転機へ

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久米島での一つの仕事が人生を変えてくれた

最初は一つの旅行メディアに集中して記事を書いていましたが、次第に他メディアや自治体、企業の案件も依頼されるようになり、ライターとしての活動の幅が少しずつ広がっていきました。自分の言葉や写真が誰かの旅の背中を押すことができる——そんな手応えを感じながら、副業ながらも本気で向き合っていました。

しかし、2019年末から始まったコロナ禍は、そんな活動に大きな影響をもたらしました。観光業界は大打撃を受け、私の副業も例外ではなく、多くの案件がキャンセルに。幸いにも本業があったため生活への影響は少なかったものの、旅に関わる人たちが厳しい状況に置かれる姿を目の当たりにし、自分自身も改めて「旅の意味」や「自分が果たせる役割」を見つめ直す時間となりました。

そんなとき、ご縁があって沖縄県・久米島の観光PR事業に関わる機会をいただきました。コロナ禍の中でも「三密を避けながら楽しめる旅のかたち」を提案するという試みで、現地の人々と協力しながらゼロから企画を作り上げる経験は、心の底から「これがやりたかった」と思えるものでした。自分のできることを余すところなく注いだ仕事で喜んでもらう。この体験が、自分の中の迷いを一気に振り払ってくれました

この仕事を通じて出会ったクライアントからは、「もっとあなたの力を発揮できる場所があるはず」と温かい言葉をかけてもらい、本業と副業からなる私のパラレルキャリアひとつに重ねたいという想いが明確に。悩んだ末に、その想いを形にするべく、メガベンチャーが運営する国内OTAへの転職を決意しました。

統合は叶わずとも、前進したキャリア

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宿に詳しくなり、宿からはじまる家族旅も計画

転職先の国内OTAでは、コロナ禍で集客に苦戦する宿泊施設を支援する営業活動に携わりました。初めての広告営業に挑戦するなか、外部環境の影響もあって期待通りの成果を出すことが難しく、悩むこともありました。しかし、クライアントと共に課題に真摯に向き合いながら、最適な解決策を模索し続け、多くの困難を乗り越える貴重な経験を得ました。

一方で、会社の進む方向やミッションに対して、次第に違和感を抱くようになります。社会課題への向き合い方や事業の優先順位など、自分が描いていた“旅を通じて社会に貢献する”という理想像とのズレに葛藤を抱え、やがて退職を決意しました。

副業とのシナジーは思い描いたほど実現できなかったものの、副業は個人事業として手応えを感じられるレベルに育ちつつあり、また宿泊業界に対する理解も深まりました。そして、そして当初は“この会社でやりたい”と思っていた観光振興の仕事も、会社の外でも自分のやり方で形にできるという自信がついていました。

自分にとって、本当に大切なものとは

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地元の宝物を守りたいという思いが原動力

自分は何を大切にして生きていきたいのか――そう問い直した末に見えてきたのは、一人ひとりの個性が尊重され、地域の魅力がしっかりと息づく、持続可能で豊かな社会の姿でした。旅先で出会った土地や人々、そして自分の地元がこれからも元気であり続けてほしいという想いは、以前にも増して強くなっています。

本業では、製造業のDX支援に携わり、愛知の基幹産業を根幹から支える役割を担っています。かつてメーカー時代に現場で感じていた課題に、今は教育の視点でアプローチしながら、現場改善に貢献できることに、大きなやりがいを感じています。

一方で個人事業としては、今までと同様にトラベルライターとして観光地の魅力を発信。テレビ局や出版社、インフラ企業と連携しながら、観光にまつわるさまざまな取り組みをさせていただいています。さらに、旅行系スタートアップにも参画し、若い世代に向けた新しい旅のかたちを模索中です。

製造業と観光業の2軸から、自分なりの地方創生を目指していきたい――そんな想いを原動力に、これからのキャリアを歩み続けていきます。

キャリアとは「生き方」の積み重ね

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常に自分らしく潤いのあるキャリアを歩んでいきたい

キャリアとは、単に仕事のことだけでなく、自分の生き方や暮らし全体をどう積み重ねていくか――そんなふうに考えるようになりました。家庭や趣味といった私生活の一つひとつも、自分らしいキャリアを形づくる大切な要素です。

そんな想いを胸に、これからの人生でも「家庭・仕事・趣味」のどれも優先順位をつけず、自分らしい理想のかたちを模索していこうとを決めています。ありがたいご縁にも恵まれ、仲間と共に新たな挑戦に向かって、毎日を忙しくも楽しく過ごしています

また1歳を迎えた子どもと過ごすなかで、「こんな場所を一緒に訪れたい」「こんなことに挑戦してみたい」と、これまでとはまた違う視点で旅や暮らしのイメージが膨らんでいます。実はこの記事の下書きも、4社目への転職をする前に家族で訪れた北海道旅行の飛行機の中で、ふと思い立って書き始めたものでした。

2025年も、そんなふうに家族とともに一歩ずつ前へ進みながら、さらなるキャリアの飛躍の年にしていきたい――そんな想いを胸に、今日を生きています。